“えんぶり”とは?

【INDEX】


1 えんぶりの起源

 伝説も含め様々な説がありますが、鎌倉時代の始め、南部氏の祖・南部光行(なんぶみつゆき)が奥州の地にやってきた頃に始まったというのが通説。
 奥州で迎える初めての正月、酒の勢いで抜刀乱舞となった家来たちの騒ぎを、機転を利かせた農民・藤九郎(とうくろう)がにぎやかに田植歌を歌い、農具を手に持って踊ることで治めました。この出来事が、えんぶりの起源だと言われています。
 その後、明治時代に入ると、えんぶりがいかがわしい習慣であるとして禁止されましたが、当時の有力者・大沢多門によって長者山新羅神社の「豊年祭」という形で復活を遂げ、現在に至ります。

2 えんぶりの種類

ながえんぶり

 うたや仕草がゆっくりしており、優雅な舞が特徴で、えんぶりの中でも古い型と言われています。主役を務める太夫(たゆう)・藤九郎の烏帽子には、真っ赤な牡丹の花や白いウツギの花などがついており、藤九郎は鳴子(なりご)、他の太夫は鍬台(かんだい・田畑を耕す鍬の柄)を手にしています。藤九郎と他の太夫の舞の動きが異なることも特徴です。

どうさいえんぶり

 「ながえんぶり」とは反対に「どうさいえんぶり」はうたも仕草もテンポが速く、勇壮華麗なえんぶり。ジャンギという棒の先に金具のついたものを持ち、烏帽子に前髪という五色の房が付いているのが特徴です。
 藤九郎と他の太夫の舞が異なる「ながえんぶり」に対し、「どうさいえんぶり」は太夫全員が同じ所作で摺るという違いがあります。

3 えんぶり組の構成

 えんぶり組は、親方・太夫・舞子・お囃子などの総勢20〜30人で構成されています。太夫(たゆう)はえんぶりの主役の舞手のことで、先頭に立つ太夫を藤九郎(とうくろう)と呼びます。

4 えんぶりの舞

 えんぶりを舞うことを「摺る(する)」と言います。これは「えぶり」と呼ばれる農具を使って田んぼの土を平らにならすことを摺る(する)と言うことから、農具を持って舞うえんぶりの舞も「摺る」と呼ぶようになりました。
 えんぶりの摺りは、馬の頭をかたどった烏帽子(えぼし)をかぶった太夫が、種まきから稲刈りまでの一連の稲作の流れを舞で表現するものです。

5 えんぶり摺りの演目・所作

摺りこみ

 えんぶりを始める口上を、太夫のリーダーである藤九郎が述べながら入場します。

摺りはじめ

 年の初めの祝い歌に始まり、苗代に種をまき、馬に田を耕させる田植え準備を表す摺り。「どうさいえんぶり」では太夫全員が同じ所作をしますが、「ながえんぶり」では藤九郎と他の太夫の動きが異なっています。

中の摺り

 育った苗を田に植えることを表す摺り。

摺りおさめ

 田植えの作業が無事に終わったことを表す摺り。作業を終え、皆で秋の豊作を祈願します。

畦留め(くろどめ)

 大事な田から水が漏れないように、呪文の言葉を唱える「畦留め」でえんぶりは終わります。

6 祝福芸

 えんぶり摺りの合間に行われる、明るく楽しい祝福芸もえんぶりの魅力の一つ。子どもたちの愛らしい舞が観客を楽しませてくれます。

えんこえんこ

 「金のなる木」といわれる小唄に合わせ、輪に銭が付いた銭太鼓を持って回しながら舞う演目。

松の舞

 農作業の休憩中、松の枝を持って踊ったのが始まりと言われる舞。主に子どもが演じます。

えびす舞

 恵比寿さまが鯛を釣る様子を、子どもが釣竿と扇子を使って舞います。やっと釣り上げた鯛を、家内が豊かになるよう家の旦那様に捧げて終わる、おめでたい演目です。

大黒舞

 子どもが右手に小槌、左手に扇を持ち、おめでたい口上や歌に合わせて舞う演目。

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