切実な願いにより800年以上継承されてきた
春告祭「えんぶり」

 馬の頭をモチーフにした「烏帽子(えぼし)」をかぶる男たちが、頭を大きく揺らしながら勇壮に大地を摺る--。

 見過ごされそうな東北の片隅で、800年以上続く「えんぶり」。
 青森県八戸市と、その周辺地域に伝わる豊作祈願のお祭りです。

 山車や神輿などが登場するお祭りのような派手さはないものの、えんぶりに魅了され、毎年必ず訪れるという観光客も少なくありません。

 800年以上もの年月をかけて継承されてきたえんぶりには、人々の切実な願いが隠されていました。

えんぶりフォトコンテスト2020 特選作品 (@ren.shimosawa 様)

【INDEX】

  ※2022年の八戸えんぶりは中止になりました。

独自の発展を遂げた、冬の風物詩

 例年、旧小正月あたりの2月17日から20日までの4日間にわたり開催される冬の風物詩・八戸えんぶり。豊作を祈願する「田植踊」の伝統芸能です。

 日本各地の水田のある地域では豊作祈願の「田遊び」が伝承されていますが、きらびやかな烏帽子や、身に着ける衣装、踊りなどは、ここでしか見られない独自の進化を遂げたものです。

 かつて北東北の太平洋側は、海から吹く季節風“やませ”によって夏でも冷涼な環境となり、稲作に適していませんでした。米の収穫は、住民の命と地域の存続に関わる重要な課題。幾度と大飢饉に見舞われた八戸では、稲作への強い思いと期待によって田遊びの風習が独自の「えんぶり」へと昇華されました。

 えんぶりの一番の見どころは、太夫(たゆう)と呼ばれる舞手が、馬の頭をかたどった華やかな烏帽子(えぼし)を被り、頭を大きく振る独特の舞。その舞は、稲作の一連の動作である、種まきや田植えなどの動作を表現したものです。

 「えんぶり」の語源は、田をならす農具「朳(えぶり)」。烏帽子を被る太夫の舞は「摺り(すり)」と呼ばれ、朳で田んぼの上をならすように摺ることに由来します。冬の間眠っている田の神をゆさぶり起こし、田に魂を込める儀式です。

 えんぶりは豊作祈願の祭りといいつつ、「豊作にしてください」という祈りではなく、「豊作になった、めでたい」と、前祝いする“予祝”なのが特徴。先に豊作をイメージすることで、現実になるようにと切実に願っていたのです。

 えんぶりの踊りには、苗作りから、田植え、草取り、稲刈りなどを経て、大地主の旦那様に米俵を納めるまでの一連の流れが凝縮されています。

 また、子どもたちが参加する祝福芸も見どころ。

 輪に銭(ぜに)に模した金属が付いた銭太鼓を持って回しながら舞う「えんこえんこ」や、恵比寿さまが鯛を釣る様子を表現した「えびす舞」などの演目を通して、観客を楽しませてくれます。

組ごとに口伝で継承されてきた伝統芸能

 最盛期には100組以上ものえんぶり組があったといわれていますが、現在「八戸地方えんぶり連合協議会」に登録されているのは「子供えんぶり組」を含め39組。そのうち、およそ30組が八戸えんぶりに参加しています。

 えんぶりのおおまかなシナリオは共通していますが、すべて組ごとに口伝により継承されてきたため、各組で節回しや動作などに違いがあり、それがアイデンティティになっています。個々の組や、舞手へのファンもつくほど。

 とあるえんぶり組では、“えんぶりの始祖が記した伝承書を見ると目が潰れる”という世にも恐ろしい言い伝え(!?)があるといい、数人のみが保管場所を知っているとも。それぞれのえんぶり組で発展してきた技術は、門外不出とされていたのかもしれません。

えんぶりはどこで楽しめる?

 それでは、えんぶりはどこに行けば見られるのでしょうか。

 初日の2月17日の午前中には、八戸市中心街で「一斉摺り(いっせいずり)」が行われます。また、八戸市庁本館前の市民広場で開催される「御前えんぶり」や「えんぶり一般公開」、「かがり火えんぶり」のほか、八戸市公会堂での「えんぶり公演」(有料)や、国の有形登録文化財に登録されている建物・更上閣での「お庭えんぶり」(有料)などがあります。

 そのほか、2月17日から4日間、八戸市内の商店や民家などの前では、摺りや舞を披露する、えんぶり組の門付けが行われます。屋台村「みろく横丁」などにもやってくるので、お酒を飲みながら門付けの様子を観るのも楽しみのひとつ。

 八戸や他の地域のえんぶり日程などはこちらのページ(えんぶり行事日程)をご覧ください。

逆境を乗り越えてきたえんぶりは、明日への希望

 2021年~2022年のえんぶりはコロナ禍により中止となりましたが、実は、過去にもえんぶりが開催されない時期がありました。

 例えば明治9年から13年までの5年間は、明治政府によってえんぶりが禁止されています。旧暦の小正月に行われていた行事だったために、太陽暦を採用した新政府の方針に合わないと判断されたのかもしれません。

 えんぶりが再開されたのは、八戸藩の侍だった大澤多門という人物の功績によるもの。それまでのような農家の祭りではなく、「長者山新羅神社」にあるお稲荷様の大祭として復活させたのです。

 しかしその後も、感染症の流行や冷害などの影響で、中止となった年がたびたびありました。

 伝える人がいなくなると途絶えてしまう伝統芸能ですが、こうして現在も見られることは奇跡のようにも思えます。

 えんぶり組のある町内では、3歳くらいからえんぶり行事に参加する子も。2月中旬といえば、この地域で最も寒さが厳しい時期で、最高気温でさえ氷点下という日もめずらしくありません。そんな寒空の下、懸命に舞う姿や、子どもたちの笑顔を見ると、自然と涙が溢れるという人もいます。

 大人たちは、子どもたちへえんぶりを伝え、その子どもたちが大人になったとき、次の世代へとバトンを繋いでいくのです。

 過去を生きた人々の願いを抱きながら、東北の片隅で息づく予祝行事は、これからを生きていく子どもたちの未来を明るく照らしてくれているかのようです。

| Written by  栗本千尋 Chihiro Kurimoto

1986年生まれ。青森県八戸市出身・在住(だけど実家は仙台に引っ越しました)。3人兄弟の真ん中、2人の男児の母。旅行会社、編集プロダクション、映像制作会社の営業事務を経て2011年に独立し、フリーライター/エディターに。2020年8月に地元・八戸へUターン。八戸中心商店街の情報発信サイト『はちまち』編集長に就任。主な執筆媒体は、講談社『FRaU』、マガジンハウス『BRUTUS』『Hanako』『コロカル』、Yahoo!『Yahoo! SDGs』etc…
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