北奥羽の雄・南部氏。
一戸から九戸の地に南部の礎を築く。

 南部氏は甲斐国(現在の山梨県)の出身で、鎌倉時代は幕府の御家人として活躍し、南北朝時代に北東北へ拠点を移しました。一族には、三戸南部氏や根城南部氏(八戸氏)のほか、九戸氏、新田氏などが名を連ね、ときに協力し、ときに反発し合い、主導権争いを繰り返していました。戦国時代、天下人・豊臣秀吉の小田原征伐に参陣した南部家26代当主・信直は、三戸南部氏の下に勢力を結集させ、生き残りを果たしました。
 八戸市には復原された根城南部氏の城・根城があり、史跡名勝記念物に指定されています。城は本丸をはじめ中館、東善寺館、岡前館、沢里館など堀で区画された八つの郭となっており、本丸からは門、橋、馬屋といった多くの建物跡や生活用具が発見されました。
 また、南部氏のルーツとも言われる南部町では、1539年(天文8年)、24代目・南部晴政の代に焼け落ちた「聖寿寺館(本三戸城)」の跡や、豪華絢爛な桃山建築の様式がそのままに取り入れられた「南部利康霊屋」を、三戸町では聖寿寺館の後に南部宗家の居城となった「三戸城」の跡をそれぞれ偲ぶことができます。広大な範囲に及ぶ南部氏の足跡を追いながら、往時に思いを馳せる歴史歩きもおすすめです。


南部藩の歴史(聖寿寺館跡・南部利康霊屋)

<聖寿寺館跡>

 今からおよそ500年前の戦国時代、北東北最大の戦国大名としてこの地方に君臨していた三戸南部氏。この北東北支配の中心となったのが、南部屋形と称された聖寿寺館です。
 建物跡は南北36m、東西42mと東北最大規模を誇ります。城館東側には奥州街道、南には鹿角街道がとおり、さらに南側には馬淵川が流れ、水陸ともに交通の要衝であったと考えられています。
 聖寿寺館は天文8年(1539)に炎上したと伝えられ、城跡からは当時の熱を受けた高級陶磁器とともに多量の炭化物が出土しています。城館焼失後、三戸南部氏は戦国大名としての発展に伴って三戸城(三戸町)と移り、その後、豊臣政権下で福岡城(二戸市)へ、さらに江戸時代には盛岡城へと居城を移しました。

<南部利康霊屋>

 南部27代利直(としなお)の四男であった利康(としやす)は、慶長13年(1608)三戸城で生まれ、寛永3年(1626)に一族の南直義(みなみなおよし)の家を継いで浅水城主となり五千石を領しました。三戸城内に邸宅を構え常住し、利直の留守には代わって政務を執りましたが、寛永8年(1631)に病のため24歳の若さで逝去しました。
 歴代の南部氏一族の霊廟としては唯一の極彩色に彩られた霊屋で、漆塗りに鍍金金具を施し、この地方に伝えられた桃山様式による華麗な霊廟建築の一端を示す貴重な歴史遺産です。障壁画は江戸時代初期の狩野派の手によるものと考えられます。昭和28年(1953)に国重要文化財に指定されました。

<聖寿寺館跡・南部利康霊屋>

見学受付場所
青森県三戸郡南部町大字小向字正寿寺81-2(史跡聖寿寺館跡案内所)

電話番号
0179-23-4711
営業時間
聖寿寺館跡9:00~16:30 南部利康霊屋9:00~16:00
定休日
12月29日~1月3日
アクセス
青い森鉄道三戸駅から車で約7分
駐車場


三戸城跡城山公園(歴史民俗資料館)

 戦国時代(16世紀中頃)、この地方を治めていた南部氏が居城としていた聖寿寺館(現南部町)を焼失したことに伴い、現在の独立した高台へ城を移しました。今も石垣や堀跡などの遺構を見ることができます。城山公園内には縄文時代から近代までの三戸町の歴史資料が展示されている歴史民俗資料館、三戸城で最も重要な門のひとつである綱御門、子どもたちから人気の鹿園、イベントひろばなどもあり、家族で楽しめます。春は1,600本が咲き誇る桜の名所としても有名で、県内外からたくさんの人がお花見に訪れます。

所在地
青森県三戸郡三戸町梅内字城ノ下

電話番号
【公園】0179-20-1111(三戸町役場)
【資料館】0179-22-2739
営業時間
【資料館】9:00~16:00
定休日
【資料館】月曜日(月曜日が祝日の場合、その翌日)、12月1日~翌年3月末日まで
料金等
【資料館】一般210円、大学生・高校生110円、小中学生60円(20人以上の団体:一般170円、大学生・高校生90円、小中学生50円)
アクセス
バス:南部バス「三戸町役場前」から徒歩約15分~20分、
車:青い森鉄道三戸駅から約10分

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