馬との暮らしが育んだ
南部地方の景色や文化を辿る旅

武士の時代は兵力として、移動手段や農作業の動力として暮らしを支えてきた馬。名馬の産地だった南部地方に属する蕪島〜種差海岸〜階上岳地域にも、馬との暮らしにより育まれた景色や文化が数多く残っています。切っても切り離せない「馬」をテーマに、この地域を案内します。

 

「種差天然芝生地」は馬の放牧地

波打ち際まで広がる「種差天然芝生地」は、馬を育成するための牧場「妙野牧」の一部。1965年頃まで放牧は続き、馬が踏み締め、草を食むことで芝生地が維持されてきました。そうした営みとヤマセや海霧、冬期の少雪といった独特の環境が独自の生態系を生み出し、650種を超える海浜植物・高山植物を育んでいます。

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現在放牧は行われていませんが、期間限定で乗馬体験が行われ、かつてのように人と馬が混在する光景を見られる日もあります。



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かつては「階上岳」の裾野まで放牧地だった

牛が寝そべっているような姿から「臥牛山(がぎゅうざん)」とも呼ばれる「階上岳」。かつてはこの裾野まで、放牧地が広がっていました。階上岳の8号目の「大開平」付近でも、牛や馬の放牧が行われていたとされ、この場所が約2万本のヤマツツジの群生地となったのは、牛が食べないヤマツツジが多く残ったからとも言われています。

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戸の名の由来は馬にあり!?

一戸、二戸、三戸……八戸、九戸。岩手県北部から青森県南部には、「戸」のつく地名が残ります。一から九の数字に「戸」が付く南部地方特有の地名は、この地域が古代末期から中世にかけて「糠部郡(ぬかのぶぐん)」といわれた時の地名がそのまま残ったものと考えられています。由来は諸説ありますが、古くから馬の産地であった地域にこの名がついていて、官営の馬の牧場の「木戸」があった場所に「戸」が付けられたという説や、朝廷から派遣された兵隊が駐留した拠点「柵戸」(きのへ)に由来するという説があります。江戸時代には年貢として「馬」が幕府に納められていた、とも伝えられています。

 

えんぶりの烏帽子は馬の頭

八戸市をはじめ、階上町など、南部地方の市や町で2月上旬〜中旬に行われる「えんぶり」。800年以上の歴史をもち、国の重要無形民俗文化財にも登録された豊作祈願の民俗芸能で、舞手のなかで黒い羽織を身に付けた太夫(たゆう)が、藁製の雪靴「つまご」を履き、「えぶり」と呼ばれる農具を持って、頭をふりながら田んぼの土を平らにならす動作を行います。この太夫がかぶる烏帽子が模しているのが、立髪のついた馬の頭。種まきから稲刈りまでの一連の稲作の流れを舞で表現します。毎年2月17日~20日に開催される冬のお祭り「八戸えんぶり」では、国の登録有形文化財「更上閣」で、八戸せんべい汁や甘酒を味わいながらえんぶりを鑑賞できる「お庭えんぶり」が人気です。

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郷土玩具として伝わる「八幡馬」

南部地方に伝わる代表的な郷土玩具も馬の形をしています。いつ頃からつくられ始めたかは定かではありませんが、南部一の宮「櫛引八幡宮(くしひきはちまんぐう)」の例祭のみやげとして、「木彫りの馬の玩具」が売られるようになったと伝わります。年に一度の例祭では、武士たちにより流鏑馬(やぶさめ)の技を競う儀式があり、「八幡馬」の名は、櫛引八幡宮の所在地名である「八幡」からついたとされています。後に農閑期の副業として八幡馬がつくられるようになり、華やかな模様は、かつて農村で嫁入りする際の乗馬の盛装を表したものです。福を呼ぶ馬として、結婚や新築などのお祝いや記念品としても親しまれています。市内では絵付け体験も行っています。